世の中には様々なジャンルの映像作品が存在する。総数はおそらく途方もつかない数になるだろう。その1つに主に成人男性を対象にしたAV(アダルトビデオ)やピンク映画と呼ばれるポルノ作品がある。
目的はおおむね性欲の発散や、催した欲情・劣情を向ける矛先、日常生活で顕わに出来ない性癖を充足させるためといったところか。だが稀に、性描写をメインに据えたこれらの作品では性欲が満たされなかったり、伴わなかたりすることがある。それどころか、一般向け映画の抑制されたラブシーンや性描写にポルノ映画では感じることのなかった興奮や充足感を覚えることさえある。
今さら感は満載だが、これは一体どういうことなのか?というのを自分なりに考察してみた。
1.おまけ感
本編上さほど重要視されておらず、そういう出来事があったと推察される事後描写・セリフのみで済ませられる場面をシーンそのものを直接的に提示するというもの。
テレビでこれをやらかした場合、もちろんお茶の間(リビング)は凍りつく。かつて深夜にローカルで放送されていた映画はこの確率が非常に高かった。
2.お約束
物語上は不要そのものだが、ジャンル映画(B級SFやホラー)には必要不可欠な描写。
言わずもがなテレビでこれをやらかした場合、お茶の間(リビング)は凍りついてしまう。が、もともとそういうジャンルだと事前に分かっているため一般映画ほどの衝撃度はなく、さらに大抵の人物が直後に殺害されるなど違う意味で目を覆いたくなる描写があるのでダメージは少ない。
今では規制が厳しくなり、深夜に見かけることすらなくなってしまった。
3.意外性
普段は絶対お目にかかれないあのスターが肌を露わにしたり、濡れ場を演じているというありえなさと驚き。今でこそネット上でプライベートな画像や当該作品のシーンも閲覧可能だが、かつてはまさに夢のような出来事であった。
加えて仰天するような過激な性描写があることからお茶の間(リビング)を完全に凍りつかせる究極兵器でもある。
「氷の微笑」や「ボディ」といった今では絶対放送出来ないレベルの映画を9時台から放送されていたのも懐かしい話だ。「デスペラード」におけるサルマ・ハエックは当時こそ1の意味合いが強かったが、フリーダ・カーロを演じてその演技力が認められるようになって以降は3も加味されるようになった。
ポルノ映画に比べると比較的健全かつ日常的なエロ描写が多いというのも興奮の理由であろうか。
実際にはそのようなことは起こりえず、現実とは非常に残酷なものである。 個人的な話であるが、私自身が非常に感銘を受けたのはやはりB級SFやホラー映画の無意味かつ不必要なエロシーンだろうか。嬉しさが多くを占めつつも、なぜ脱ぐのか?そして胸の部分だけやたら白いのか(記憶を掘り返す限りでは日焼けしていなかった?ように見受けられる)という疑問は常に頭の片隅に存在していた。
一般映画におけるエロ描写への興奮を覚えることが多い自分ではあるが、土曜ワイド劇場の混浴露天風呂連続殺人シリーズも同様にお約束とはいえ非常に感銘を受けていたことを付記しておく。あと、深夜とはいえテレビでやっているのだから一般向けなのだろうと後年になって勘違いに気づいた映画も数多くあったりする。
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